浦安コペルニクス総研・ブログ版

普通の人々が、日常の生活と浦安市の市政の関係を考えていく仕組みをつくりたい。 行政主導の市政から、市民主体へ、 コペルニクス的転換を試みる「行動する」研究体です。

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No.013 続・市内の福祉施設で起こったこと

昨2月25日、TBSの報道特集にて、この問題が放映されました。
放映された内容を信ずる限り、現場では虐待と言わざるを得ない拘束があったようです。情報が不足している現在、事実関係の明確化が待たれます。
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テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済

No.012 市内の福祉施設で起こったこと

既にマスコミで報道されている通り、大変な事態が起きています。
明日25日の17:30から、TBSの報道特集でも報じられるそうです。

この問題に関する、現時点での私の見解を示します。

・少なくとも当該施設において「拘束」が行われていたことは事実のようです。報道によれば、施設の管理責任者もこれを認めています。
・高齢者虐待防止法、あるいは老人福祉法に違反する行為があったのか。また今回表面化したこの拘束およびこれを含む行為が違反に相当するのか。
この点が、本件に事件性があるかどうか、の判定になると思います。

ただし、問題はそこに留まりません。今回たまたま表面化したこのケースは福祉の現場が抱える問題点の、ある部分を象徴するものと考えられます。

1) まず、この施設が「無認可」だったということ。
「認可」施設であるためには、様々な条件をクリアしなければなりません。すなわち、サービスのための一定水準の人数や設備が整備されていなければならない。また、現在法的に担保されている社会的な高齢者福祉システムとしての「介護保険」とリンクしなければならない。
そうすると、切実に需要を抱えながらサービスに見合う費用が負担できなかったり、介護保険の枠外で施設を利用したいというニーズを持つ層は、「認可」施設でサービスを受けることが困難になります。
あるいは、「病院でお手上げ状態」になって出されてしまうほどの認知症患者や、受け入れ先がなくて難民状態の人は、とにかく入れてもらえる施設を、藁にすがる思いで探します。それが無認可であろうと、なかろうと。
つまり、「無認可」施設には、社会的存在理由がある。

2)「無認可」施設には2つの問題点がある。
ひとつは、「無認可」施設は法の谷間に存在するので、自治体など管理監督のチェックが効かない、という点。
今回のケースが表面化したのは、現場の元職員がそこで行われていた拘束行為を「虐待」だと認識し、行政に告発したためです。もし元職員が告発に至らなければ、本件は明るみに出ることなく、外部に知られないままとなります。
ということは、社会的に「無認可」施設の実体を把握する術がない、という事です。

もうひとつは、供給よりも需要が多いこのマーケットに魅力を感じ、少ない投資で利益をあげようと目論む「性悪説的」な事業者が、「無認可」施設の中に存在する可能性があるという点です。弱者を利用した経済行為であり、搾取と呼べるものです。
その一方で、1) で述べたような空白を埋める「性善説的」な事業者も存在すると考えられます。そういう施設は、おそらくやればやるほど、利用者を受け入れれば受け入れるほど、利益をあげにくくなりスタッフは忙しくなると思われます。

3) 問題の施設は果たして「悪者」か。
堂本千葉県知事のコメントとして、「拘束は望ましくない。虐待だと思う」という内容が報道されました。
「性悪説的」な事業者を除けば、福祉の現場で拘束を望ましいと思っている人はおそらくいないでしょう。望ましくない、と誰もが思っているのに、やらざるを得ないのは何故なのか。
報道内容を見ると、少ない報酬とギリギリのスタッフ態勢の中、入所者本人や他の入所者の安全を確保するため、緊急避難的に拘束を行ったようにも受け取れます。
この種の事件は、報道されると「悪い業者が老人を虐待して金儲けしている」という見方で固定されてしまいがちです。事実、知事も事態をよく把握する前に「虐待だと思う」と判断をくだしてしまっていますし、「福祉の名を借りて経済活動する典型的な例」とする有識者もいました。
当該施設の管理責任者は、拘束なしは困難としながら、「今後は拘束ゼロという市の方針にできるだけ沿っていく」と答えています。今までやむを得ずやっていたかもしれないとすれば、これからは緊急避難の手を封じられることになります。最悪の場合、継続が困難になれば撤退してしまうかもしれません。そうなると、入居していた26人の人たちは再び生活の拠点を失ってしまいます。

このままでは単に問題の施設がワルモノになって終わり、になりかねません。
福祉の狭間で彷徨う「福祉難民」と、最も厳しい現場で奮闘しながら低い処遇に耐えている「性善説的」事業者、そしてそのスタッフを置き去りにする危険があるのです。

この施設がどういう理念で6年前に事業を始めたのか、26人の入所者はどんな経緯でここに集まってきたのか、入所者家族の満足度はどうなのか、今回の事件をどう受け止めているのか、など、現場のスタッフに確認すべきことが多々あるはずです。
また、元職員はなぜ告発という手段を選択したのか。現場にいて、それでもなお「この拘束行為は虐待である」「いかなる場合でも、拘束はあってはならない」と考えたのか。別の職員に「無認可だから関係ない」と言われたと報道されているが、そのときの状況は具体的にどうだったのか。施設の方針と、元職員の考え方にどんな距離感があったのか。

4) 自治体の責任範囲。
認可か無認可かにかかわらず、福祉施設職員による入所者への人権侵犯事件は増加傾向にあります。私は、「現場の負担の増大」「介護現場の量的拡大に伴う人材不足、スタッフのアマチュア化」「事例・ノウハウなど現場知的資源の共有不足」が原因ではないか、と推測しています。

認知症症例の改善に関しては、認知症介護研究・研修東京センターが広めている「センター方式」の有効性が広く知られています。聞いたことのある方も多いでしょう。
言語などコミュニケーション能力に問題があり、いさかいや問題行動を頻繁におこしていた認知症患者が、「センター方式」を取り入れて2ヶ月で柔和になり、相互にコミュニケーションが図れるようになったという報告もあります。簡単にいえば、その人が何を訴え、表現しようとしているのかについてあらゆる情報を集約し、シートを作成してスタッフ全員でアセスメントを行うというものです。(シートは同センターのサイトで無償でダウンロードできます)
こうした事例は、今回の現場では反映できなかったのか。できないとすれば、原因はコストなのか、スタッフ不足なのか、それともこのケースでは有効性が期待できないのか。
センター方式のモデル実験が平成16年度に船橋市で実施されています。そんな情報は現場で流通しているのでしょうか。

「無認可の施設に対しても、認可施設と同様の指導をしていく」というのが今回の事件を受けての行政の対応なのでしょうか。もしそうだとすると、本質が議論されないまま終わってしまいます。
現場にニーズが存在するから、それに応える無認可施設が現れるのです。現在の介護保険法、そして障害者自立支援法と、現実に存在する市場ニーズをどうマッチさせていくのか。
これは自治体の政治責任の範囲だと思います。浦安市および千葉県の担当部署と執行責任者は、これに関してどんなビジョンを提示するのでしょうか。
少なくとも、安い費用と少ないスタッフで運営する無認可施設が、入所者に身体拘束などしなくても済むようにするには、どうしたらいいのか。このことを、システムとして真剣に考え、答えも見つけなくてはなりません。これが、今回の事件の本質です。

私自身、具体的に取り組まなければならない課題だと思っています。
この稿、ひとまず筆を置きます。

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No.11 自治体議会改革フォーラム

自治体議会改革フォーラム2007

http://www.gikai-kaikaku.net/news.html
「自治体議会改革フォーラム2007」というのは、全国の自治体研究者や実務家が呼び掛けて、地方民主主義の向上のための議会改革に関する提言を行っている活動です。
2007年の統一地方選挙に向けて、
1.討議をしない議会 → 自由な討議のできる議会へ
2.市民が発言できない議会 → 市民が参加できる議会へ
3.公開が不十分な議会 → 透明性のある議会へ
の3つの目標を掲げています。

2月17日の土曜日、新宿駅西口にてそのスタートアップキャンペーンがありました。
関東を中心に8名のコメンテーターがその意義を訴え、私もその一人として
「市民が市政に関心が持てないのは、実感がないから。その実感を市民と一緒になって生み出していくのが、地方の議員と議会の仕事」と通行中の皆様に語りかけて参りました。

浦安市の議会は、インターネット中継など他の地方議会に比べても進んでいる印象がありますが、
議会改革フォーラムに返ってきたアンケートの結果を見ると、
●自由な討議のできる議会か・・×
●市民が参加できる議会か・・×
●透明性のある議会か・・△
となっています。市民のための議会にするための課題がありますね。

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No.10 議員は政務調査費を公開すべきだ。

「領収証の要らない第二報酬」などと揶揄され、議員特権の代表格のように言われているのが、政務調査費です。私的な飲食や旅行、買物などに使って返還を求められたり、責任をとって辞職する議員が出たり。私の故郷、静岡県島田市では、使途の不明瞭な政務調査費を市長が市議に返還させて話題になりました。
政務調査費というのは、議員が職務のために行う様々な調査に使われるべき費用です。最初から目的が決まっているのです。有効に使えば、色々なことができるはずです。領収証の添付を義務づけたり、議会としての公開を目指したりするより以前に、議員一人ひとりがその使途を市民に公表すればいいのでは?と私は単純に思います。浦安市の政務調査費は月額30,000円。翌月の使途予定をあらかじめブログなどで公開しておけば、誰もが納得するのではないでしょうか。

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No.009 議員は事務所を「市政資料室」にすべきだ。

地域の課題について市民が自分で何かを考えようとするとき、必要なのは判断するための材料、
すなわち「情報」です。
しかし必要な情報がどこにあるのか、私たちにはよく分かりません。見つけたとしても、それを開示してもらったり、勉強したりするのは時間がかかります。
何度も書きますが、議員は、首長・職員の執行部と議会と市民のまん中に位置しています。情報も持っていて、調べる時間と権利を市民よりも多く与えられています。
予算書や決算書を見た事がありますか?何十もある計画書や構想書、報告書は?計画がどのように進められ、いまどうなっているのか知っていますか?そういう情報を議員は私たち市民の代わりに集め市民がいつでも見られるよう、ストックしておくべきです。
議員の事務所に陳情のお願いに行くだけでは勿体ない。議論したいときに、あらゆる資料がその場で揃う議員の事務所を、市政資料室としてガンガン活用させてもらいましょう。
立派な設備は不要です。コンピュータが一台と、市が出している書類や基本データ、関連書籍、そして椅子とテーブルがあればいいのです。大切なのは、その中身と、態勢づくりなのです。

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No.008 議員が掲げるべきはアドボカシー(提言)。

アドボカシー。聞いたことありますか?
フリー百科事典のウィキペディアには「社会問題に対処するために政府や自治体及びそれに準ずる機関に影響をもたらし、公共政策の形成及び変容を促すことを目的とした活動」と書かれています。
簡単には、提言と訳せます。このページに掲げる「5つの要件」も、アドボカシーです。
議員は、首長・職員の執行部と議会と市民のまん中で、市政に対する意識を高め、地域のよりよい未来をつくる"触媒"です。執行部と議会と市民の全方面に対し、「こうしたら街はもっと良くなる」「私はこう考える。あなたは?」「こんなアイデアがある」と、24時間・365日考え続け、訴え続ける。そして交流を促進し、対話を活性化させ、よりたくさんの人々を巻き込んでいく。
政策は、その輪の中から生み出すものです。
絶対に、議員や首長が一人でひねり出すものであってはなりません。
もうお分かりでしょう。アドボカシーを継続するためには、議員は議会のあるときだけでなく、普段から常に市民と共に走り、言葉を交わしていかなくてはならないのです。

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No.007 議員は政治リテラシーを磨け。

マニフェストという言葉が一人歩きを始めています。
選挙を前に政策を明確にするのはいいのですが、実は議員というのは、一人では政策を実現できません。掲げた政策を実現させるためには、他の議員と共に議会に意見書案や条例案を提出し、議決を経て今度は首長と職員にそれを執行させなければならないのです。
また、「・・を実行します」「・・を実現します」等といろいろ掲げる候補者がいますが、もしそれをマニフェスト(政権公約)というのなら、そこには「財源」「数値目標」「期限」「プロセス」の4つの条件が明示されていなくてはなりません。執行権を持たず、予算編成権も持たない議員が、どうやってその4条件を満たす公約が作れるのでしょう。
地方政治というのは、首長・職員の執行部と、議会と、市民とがそれぞれ情報や意見を交わしあい、総意を紡いでいくことで築かれていくのです。だから地方自治体は「民主主義の学校」なのです。
そのために議員は何ができて、何をすべきなのかを本気で考え、リテラシー(情報力、構想力、構成力などの基本的な力)をしっかり磨く事が、まず優先されるのです。

No.006 議員はファシリテーターであるべきだ。

ファシリテーターとは、直訳すると「援助する人」とか「促進者」という意味です。
色々な立場や考えを持つ人々が集まる話し合いの場では、情報がどこかに偏っていたり、テーマが漠然としすぎていたりなどの理由から、議論が建設的に進まないことがしばしばあります。
そんなとき、情報や議論の交通整理をしながら、参加者と共に見えにくい問題点を浮き彫りにしたり、解決の方法を見つけたりする役割を果たすのが、ファシリテーターと呼ばれる存在です。「協働コーディネーター」と呼ぶ人もいます。
地方議員は、まず地域の人々に「いまこれが課題になっています」と争点を明らかにし、「議論するためにこういう情報があります」と情報を用意し、民主的な議論ができるように環境を整えて議論の過程を見守り、「行政と議会と市民の間で総意をどう紡ぐのか」というプロセスのデザインができなければなりません。これができるのは、行政・議会・市民という地方民主主義を構成する3つのセクターの中間に位置する議員だけだからです。

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No.005 新しい時代の地方議員のあるべき姿

私たち市民は日々生活をおくる上で、政治や行政というものを意識して暮らしてはいません。
政治と生活とが、実感をもって関連してこないからです。
自分と市政の間に距離感がありすぎるのです。
そのためか、昨年行われた市長選挙の投票率は45.7%、半分以下の人しか選挙に行きませんでした。実はこの選挙は、
◆100億円規模の費用をかけて、いま市庁舎を建て替えるべきか?
◆毎年10億円の赤字を出している市民病院を含め、浦安の医療をどうすべきか?
◆ムダな支出をやめ、必要なことにどう予算を使うにはどうするればよいか?
など、いま浦安市が抱えている大きなテーマの方向を決定づける、重要な選挙だったのです。

浦安市ではこれらを含め、多額の予算を使う計画を準備しています。例えば。

■次世代型路面電車システム(LRT)計画
 浦安駅から新浦安駅までの幹線道路上を直線で結び、さらに京葉線と並行して舞浜駅まで延ばす。
■浦安駅周辺再開発計画
 やなぎ通りの駅前歩道橋周辺(千葉銀行浦安支店の辺り)に歩行者デッキやエスカレータ、ビル、商業施設をまず作ってしまうというもの。
■市庁舎再建計画
 現在の場所(シビックセンター地区)で建て直す計画。想定規模で約96億円、さらに駐車場や浦安公園など、関連施設の整備も必要になる。(新庁舎建設市民懇話会議事録より)庁舎増築のため積み立てられた基金は18年度末見込みで約74億円、足りない分は地方債という名の借金をすることになる。

市は、計画には市民の声を反映しているといいます。しかし、市が短い期間で募集するパブリックコメントに応募する人はごくわずか、「本当にそれ以外ないのだろうか」という視点に立つ代替案は検討されることなく、計画はいつの間にか既定路線として進められていきます。

「行政が計画・主導し、市民がそれに参加する」というスタイルを続ける限り、私たちと市政の距離感はなかなか縮まりません。けれども、「おカミ」意識を脱却し「市民が主体となって意思を形作り、議事機関である議会が議論し、結果として総意が紡がれ、それに基づき行政が執行する」という地方自治の本来の姿を実現すれば、私たちは自分たちのまちづくりを自分たちの手で行う事ができるのです。
そのためには、今と違う新しい議会のあり方、新しい地方民主主義の仕組みが必要なのです。
そしてそれを担う議員もまた、新たな資質が問われるはずです。

次回、私が提言する具体的な地方議会議員像を掲げます。

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No.004 給食費滞納の問題

新浦安ナビなど地域系掲示板でも、話題になっていますね。
「払わない家庭の子供には給食を出すべきではない」という意見もよく耳にします。また、市に抗議し、行動を起こさせるための運動として「住民税を払わない」という選択肢をされる方もおられるようです。

しかし、一気に結論に到る前にまず議論を整理しないと、「払わないとは何ごとか」という感情に基づく怒りや、「どうすれば払ってもらうことができるのか」という仕組みの問題や、「払いたくなければ給食を拒否してお弁当にしたら?」という代替案などが意見交換の渦の中で単にかき回されるだけなのでは、と思います。

少なくとも、まず「払えない」場合と「払わない」場合に分ける必要があると思います。
経済的な事情で「払えない」場合は、とりあえず給食費補助を行い、払える状態にします。同時に、補助がなくても払える状態がキープできるよう、就労支援など家計を成立させる施策を行うべきです。
もちろん支払能力があるかどうかの判定基準を明確にして、本当に必要な家庭が支援されるようにしなくてはなりません。

「払わない」場合も、単に面倒で怠っている場合と、「支払い自体が不必要」と考えている場合の2つがあります。前者に対しては、徴集システムの改善が有効です。選択可能な代替案(銀行振込、郵便局、学校直納、
コンビニ振込など)の提示とその公知ですね。

後者に対しては、学校給食の理念から理解していただくしかないでしょう。学校給食は単に食事の補給だけでなく、集団で同時に同じモノを食べる体験や給仕の体験、栄養の仕組み、食物の由来学習、などイロイロ学ぶ学習の一環です。
そこに意味があることを、例えばその家の児童も同席させて親と話してみる。あるいは、授業で取り上げて、その様子を当該家庭の保護者に見てもらう。
「義務教育だからタダが当たり前」と考える親を非難するより、その誤解を解く。そうしないと、そういう親や市民はいつまでも成長しません。「あ、そうだったんだ」と理解できれば、案外素直に支払っていただけるかもしれません。

また、「税金のムダ使いが多いんだから、そっちを切り詰めれば給食費ぐらい出るだろう」という理論武装(?)の方もいるようで、そんな「払わない理由」をひとつひとつ収集してみたらどうですかね。そしてすべてに対しちゃんとお答えしていく。

租税と同じで、公的システムのために支払うべき義務を果たしていない、と解釈すれば、差し押さえのような強制執行もあり得ます。
あるいは、どうしても給食のシステムに納得いかないのであれば、給食のない私立校に転校していただくのも一案です。
未納家庭の子供自身の気持ちを置き去りにして対策を話し合うことは問題が残ります。滞納者氏名の公表はその点からも慎重にすべきです。

そうした策を講じた上で、給食停止は最終手段です。一部の児童だけがお弁当を食べる状況というのは、やはり給食の理念から言ってもイレギュラーですから、一時的にはやむを得なくとも、できれば望ましくないと私は思います。

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