浦安市議会議員選挙が終わりました。
私の力不足により、あと一歩のところまで迫りつつも、残念ながら今回は志を果たすことができませんでした。
ご支援いただきました多くの皆様、誠に申し訳ありませんでした。皆様のお気持ちを今回は活かす結果にできなかったことを、心よりお詫び申し上げます。また、お力添えに御礼を申し上げます。誠にありがとうございました。
しかしながら、今回の活動を通じて数多くの素晴らしい方々とお会いすることができました。このことが、今回私が得ました最大の財産です。今後も引き続き、常に市民の皆様と共に、街のあり方を考えて参りたいと思います。
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中学や高校には、生徒会というものがあります。
私が選挙に立候補した一番最初の思い出 (と言っても他にはありませんが) は、中学二年生の時の、生徒会長選挙です。
当時私が通っていた中学では、一学年に三つあるクラスから各一人づつ候補者を選出し、全校生徒の投票によって決めるという形をとっていました。ただし慣例として、3年生は受験、1年生は入ったばかりということで、候補者は2年生が中心だったように思います。ですから、生徒会長はいつも3人で争う形になっていました。
けれども私が2年生だったその年、私のクラスではミーティングの結果「候補者なし」という結論になってしまいました。適任と思われる資質を持った生徒が何人かいたのですが、その全員が辞退してしまったのです。これが私には非常にショックでした。自分たちの学校の自治システムに参加する権利を、自ら放棄するという事態を、どうしても受け入れることができなかったのです。
中学生くらいの年頃は、成長に個人差があります。級友に比べ背も小さく、勉強や運動も特別できる訳ではなかった私は、なんとか自分たちのクラスからも候補者を出せるよう、リーダーシップ能力があると目される何名かの友人の説得にあたりました。けれども、だれも首を縦に振ってくれず、候補者登録の締切時間があと5分と迫ってしまいました。
私は仲のよかった友人一人と職員室に行き、生徒会担当の教師に事の次第を説明しました。そして、「誰もやってくれないから候補者なし、は絶対に避けたい。適任とは到底思えないけど、僕が出ます。」と申し込みました。なぜか、号泣しながらでした。
悔しさだったのか、情けなさだったのか、よく分からないのですが、とにかく大泣きしたことを覚えています。
翌日から始まった選挙戦では、決められた時間に各教室を回って演説をします。私は候補者をわがクラスから出すことだけが目的でしたから、当選するつもりがありませんでした。演説では、「私に投票して欲しいとは言いません。自分たちで選ぶ選挙なんですから、軽く考えずに候補者をしっかり見て、お願いですから、自分が最も良いと思う人を選んでください。」と言って回りました。
結果は、成績優秀で野球部のエースだった有力候補を抑え、2位でした。
会長にはなりませんでしたが、いくつかある委員会の委員長におさまりました。
残念ながら、そこから先はたいした結果を出すことができませんでした。多分立候補までが当時の私のキャパシティだったのでしょう。しかし、大きな充実感と達成感がありました。思えばこれが、私が民主主義というものを実感した原点だったのかもしれません。
学校の生徒会とその選出システムは、地方自治のミニチュアです。なぜそういう仕組みなのか、そこにどんな意味や理念があるのか、もっと学校で教えたり、生徒どうしで討議したり、考えたりすれば、その経験が地や肉となって、本当の選挙権を得たときのモチベーションになるのではないでしょうか。
地方選や国政の選挙においても、安易に「知り合いだから」と選択しないで、候補者を見比べて「この候補者なら一緒に街づくり、国づくりをしていきたい」と思う人を選ぶべきです。それが、民主主義の一番基本である、主権在民の権利を行使する第一歩です。
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3月16日(金)、浦安市民プラザ Wave101の市民ギャラリーで行われていた「パッチワークキルト展」に行って参りました。失礼ながら開催されていることすら知らず、観覧したのはまったくの偶然でした。
パッチワークキルトというと「アメリカの素朴な民芸品」というイメージしかなかったのですが、入り口のガラスを通して見える絵画のような展示作品の迫力に圧倒され、つい会場に引き込まれてしまいました。入って作品を見ると、まさに驚きの連続でした。
ルネサンス期のカテドラル(大伽藍建築)の天井を思わせるもの、エッシャーのような立体感を感じさせるもの、水彩画のように淡く繊細なもの、抽象画や現代美術のようなもの。ヨーロッパの伝統的な紋様やミステリーサークルを連想させる物もあります。一転、箱根寄木細工にも似た色調と構成の作品や、古代裂(こだいぎれ)で構成した和風のもの、中には、定期的に届く指示に従って制作するため出来上がるまで全体像が分からないミステリーツアーという、楽しくかつコンセプチュアルな作品もあり、とても印象に残りました。パッチワークキルトがこれほど創造的で楽しい世界だったとは、本当に思ってもみませんでした。
素材になっている一つひとつの布は、それぞれ来歴を持っています。昔、おじいちゃんやおばあちゃんが身に付けた着物だったり、民家の押入れに眠っていたものだったり。遠く外国からやってきた布切れもあります。そうした個性ある布たちが、それぞれの質感や色を活かして再構成され、時間をかけて、制作者の愛情に育まれながらひとつの大きな作品になるのです。私は今回の展示会を見て、パッチワークキルトとは出来上がった作品そのものはもちろんのこと、それが作成される過程(プロセス)にこそ意味があり、アートがあるのだという思いを強く持ちました。
実はこの世に偶然はない、といいます。偶然入ったかのようなこの展示会で、私は「一つひとつ異なった個性を大切にしながら、総体としてひとつの大きな絵を創造する」非常に象徴的なイメージをいただいたような気がします。
浦安という大きな街に、一人ひとり個性あるたくさんの人々が暮らしています。それぞれの人々の歴史、考え方など多様性を大事にしながら、どうやって「浦安市」という一つの街、作品に仕上げるのか。これを紡ぎあわせるためには、一針づつそれぞれの布と対話しなくてはなりません。
会場には、多くの会員さんが部分部分を担当して、一つの作品に仕上げたものもありました。全体と部分がしっかりかみあって、美しいシンフォニーが奏でられるのです。
街づくりは常にプロセスです。これで完成、ということはありません。美しいパッチワークキルトを創造するプロセスに倣い、全体像をイメージしながら一人ひとりの市民と対話していく。市政を志すひとりとして、いつもそうありたいと思わされた体験でした。
会場にいらした皆様、会員の皆様、大変ありがとうございました。
なお、展示会および主催者に関しては、下記ホームページをご参照ください。
http://homepage3.nifty.com/chestnut-grove/index.htmテーマ:政治・地方自治・選挙 - ジャンル:政治・経済